北東北営業所長計画

休職から1年余り、再就職から3ヶ月が経過した。

 

勤務先の方は色々と波乱続きで安定とは無縁だが、

私の体調の方は比較的安定しており、

無事に働き続けることができている。

 

そう、勤務先の方が全く波乱だらけで

とんでもない激動期にある。

不祥事を起こした訳でもないのに、混乱の渦中。

毎日が事件の連続で、正直なところ疲れてしまう。

よく私を雇ってくれたものだと思う。

 

一方、仕事の内容としては私にとって願っても無いと言うか、

とても自分に合った内容であるため、

この船が沈まないように祈りながらの日々なのだが、

できることならこの仕事はこのままの方向性で、かつ

この大混乱の日々から少し距離を置いて

安定した心持ちで続けたい、と高望みをしてしまう。

 

いっそ一人で仕事をしたい…などと。

 

そうは言っても、今の私には一匹狼で仕事をこなせるほどの

力量も度胸も無い。

この辺りはこれまでも課題だった。

大学の恩師には「雇われない生き方をした方がいい」と

助言を受けている。誠に的確である。

前職の純然たるサラリーマン生活は見事崩壊した。

だがしかし、

雇われる生き方は苦手なのだが、雇われないと食えないのである。

フリーランス、あるいは独立起業家として生きる気概は無く、

そんな能力も持ち合わせてはいない。

(そもそも幾ら稼げば死なないのかも分からない)

 

雇われない生き方を志向し、ある程度の権限を握りながら、

一応私の前に道なりレールなりを引いてくれる人はいる、

そんな都合のいい生き方が今の馬鹿正直な理想である。

 

例えば、の話。

今のオフィスは仙台に一箇所で、そこで全国の仕事を受けているが、

そのうち北東北の業務担当者として盛岡辺りに派遣されたい。

週一くらいで仙台オフィスに行って指示を受けつつ、

週四は盛岡を拠点に北東北の仕事や一人でできる仕事をこなす。

みたいな?

 

現在の業務内容にはリモートワークが可能なものも多いので

ハードルは低いはずだが、

そんな生き方が可能になる程度には、もう少しスキルなり

仕事を作る力なりが欲しいところである。

当面は仙台で粛々と荒波に揉まれた方が良いと思うが、

中長期目標くらいにしておく分にはバチは当たらないかと。

第0回マンションポエム東北大会〜「海を見晴らし、天空を制す」

色々と疲れてしまい、

現実逃避に大好物の不動産広告を見ていたら

東北のマンションポエムもなかなかのクオリティだったので、

検索で引っかかったものを一挙ご紹介。

皆さんはどの物件で羨望と憧憬の東北アドレスを手に入れますか?

(太字のポエムは個人的お気に入り)

 

<Aomori>

HIROSAKI未来区

 

<Iwate>

THE PREMUIM 盛岡の新しき羨望へ。

 

自分時間、自分空間。テラスCafeのある暮らし

 

Central Driver 中心を、翔けろ。

 

<Akita>

 

<Yamagata>

静域に包まれた都心邸宅の美学 本町

 

シルエットが今、鮮やかに未来の光となる。

 

<Miyagi>

Extreme GEM 一番町一丁目。感性が躍動する場所で、日常を描く。

 

海を見晴らし、天空を制する。

 

杜の都の象徴と暮らす。

 

Blended Style 都心の至邸に溶け込む、躍動と静謐

 

杜の静域

 

大切な家族と共に過ごす、タワーレジデンス。

 

仙台がまた、大いなるスケールで躍動をはじめた。

 

仙台、知樹の杜に棲む。

 

仙台駅、利と静の極み

躍動する日常も、緑陰の憩いも、徒歩10分圏内で届く歓びが、ここに

 

理想が現実となる、妥協なき生き方へ。REAL Giver

 

URBAN LIVE 凌駕する都心時間。

 

上杉に奏でる私邸。

風格が迎える。伝統がもてなす。

仙台が誇る、緑陰の都心。

 

家族がいいね、きらきらの暮らしへ。

見て!ZONO style

 

<Fukushima>

FUKUSHIMA GRAND STORY

福島、その真髄を綴る。

 

福島のとっておきを、日常に。

ALL IN ONE PLACE

 

五感で感じる、ドラマはあるか。

 

THE Manor CODE

郡山屈指、憧憬のアドレス「長者二丁目」で上質な時間を過ごす

 

静寂の奥座敷〜この場所だから、永遠まで。

 

いわきにもっと価値ある快適を

 

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こうして書き連ねると、語彙が新たな極みを手に入れそうである。

マンション激戦区・仙台のポエム乱立は想定通りだが、

福島の作品も少数ながら秀逸だった。

 

優勝というか私の心に残ったのは宮城・仙台市太白区某物件の

「海を見晴らし、天空を制す」である。

東日本大震災で沿岸部が大きな被害を受けた仙台市

あの日以来、海への見晴らしに複雑な思いを抱く人が多いのではないか。

(途切れ途切れになった松原や復興工事は遠くからでもよく分かる…)

そういった意味で当該ポエムは、海を見て空を制した気になれる、という

震災からの時の流れと市民感覚の変化を感じる象徴的名作だと思う。

 

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自己肯定感を下げるような出来事が続き

情緒不安定なので、迷走の度合いも極まる。

何をしているんだろうか。そろそろ外に出ねば。

何をやりたいの?

無欲…とはまた違う。

子どもの頃から" I want to do~"の乏しい人だった。

そのことで随分親を困らせたようだ。今は自分でも困っている。

 

一度きりの人生、

自分の思うように生きたい!と考え始めたのはつい最近で、

今更になって、

「何をやりたいの?」と尋ねられると、言葉に詰まる。

 

前職の志望動機も、今振り返れば「ぼやっ」としたものだった。

書きたいテーマや貫きたい信念はほとんど無く(些末なものは有ったが)、

ただ目の前の人と、想像しうる範囲の人の為にベストを尽くす、

それだけだった。

「何を書きたいの?」と聞かれるのは辛いことだった。

サラリーマン的な働き方に拒否反応を示しながらも、

結局は極めてサラリーマン的な思考で働いてきた。

 

例えば「何を食べたいの?」と聞かれても、

お皿が出てくるのを待っていたことしか無いので困ってしまう。

そんな状態である。

 

それでも、ここ数日で長年の「やりたいことが無い」問題から

一歩抜け出すヒントのようなものは見つかったような気がしている。

 

少なくとも自問自答する場合に、

「何をやりたいの?」という聞き方がまずかったのではないか?と。

 

これまで、

何かを「やりたい!」と宣言する行為は「自己中心的ではないか」

という思いが先行して、気持ちが乗って来なかった。

(別に自己中でも良いと思うのだが、自分はどうしても受け入れられない)

利己的に生きようとすればするほど、それを良しとしない感情で

ブレーキをかけられてしまっていた。

 

そこで、自己実現の目標に「利他的」な要素を入れ込んではどうか、

と考えてみた。

例えば質問を大風呂敷な物に変えてみる。

「(自分は)何をやりたいの?」ではなく

「どんな社会に住みたいの?」という風に。

すると、案外色々なイメージが浮かんでくる。

互いの個性を認め合う社会、人同士で比べ合わずに済む社会、

思いやりと相互信頼に基づく社会…などなど。

 

社会を住み良いものにと思うことは利己的なことだが、

同時に周りの他者のことも考えるので利他的でもある。

ここで「思いやりと相互信頼に基づく社会」を目標に据えたとして、

今度は目標達成のために自分に何ができるかを考えることとなる。

その手段こそが「何をやりたいの?」の答えになるのでは?

というところまでは考えることができた。

 

もう一つのアプローチとして、自分が妙に共感した言葉や理念を

足がかりにしてはどうか、とも考えた。

自分の場合、最近だとこんな言葉に引っかかった。

何か新しいものを初めて見つけることではなく、

古いもの、古くから知られていたもの、

あるいは誰の目にもふれていたが見逃されていたものを

新しいもののように見出すことが、真に独創的なことである。

ベタだが、ニーチェの言葉である。その言葉を大切にしている

企業のことを書いた本で知った言葉なので、引用の引用の引用と言った具合。

それでも、自分がこれから文章を書いていく上で大切にしたい考えだと

自然に思うことができた。では、この言葉通りに働くためには

何をするべきか考える。

そのことが「何をやりたいの?」の答えとなり得るのではないか、と。

 

いやぁ…この思考訓練を本当は大学進学前とかにできていればなぁ。

若干どころでない後悔や恥ずかしさもありつつ、

物を始めるのに遅すぎるということは無いと信じて書いている。

「何をやりたいの?」に対して

今後も即答はできないかもしれないが、

本心に嘘をつかない回答をゆっくりでも導き出したいと思う。

休職一周年

台風接近の煽りを受けて明らかに調子の悪い時に、

1ヶ月ぶりのブログ更新だなんて

正気のサタデーナイトフィーバーである。いや、サンデーナイトである。

 

前の職場を休職してから、丸一年がたった。

 

休職を考えていることを切り出してから間髪を入れず、

かなり強引に実家に戻され、

その時点でほとんど復職を諦めたし、

その通りに辞めてしまった。

 

そのプロセスに対しては突っ込みどころも多いが、

今となっては休職も必然のことと思うし、

自己都合退職についても正解だったと思う。

 

休職から今の仕事にありつくまでの経過を振り返れば、

「人に恵まれていた」という他ない。

仙台でも、盛岡でも金沢でも。

適切な時期に適切な手を差し伸べていただいた。

 

「結婚式に出たことが無い」と言うと驚かれるが、

適切に人間関係を継続させる技術に乏しく、友人は少ない。

少なくとも、今暮らしている仙台の街には、

週末にどこかへ遊びに誘える間柄の人は居ない。

そんな人間である。

 

…にも関わらず、人の縁に救われて今を生きている。

改めて考えると不思議な話だ。

 

「ご縁に感謝」だけではいけないと思う。

 

いつまでも助けを求める側にはいたくない。

 

恩に報いる生き方を考える時期に来ているのではないか。

 

こんなことを書いていると、

神様屋さんや仏様屋さんに飛び込み営業をされそうだが。

ふるさとの山(1つとは限らない)に向ひて言ふことなし

ふるさとの山に向ひて

言ふことなし

ふるさとの山はありがたきかな

 

現在の盛岡市出身、石川啄木の実に有名な歌である。

彼は漂泊の詩人などとも呼ばれる。

故郷を離れ、北海道を転々とし、

東京で最期を迎える漂泊の生涯にあって、

心の中には常に望郷の念があったものと思われる。

その象徴が、西に岩手山、東に姫神山という

2つの名山を望む渋民の風景だったのだろうなと思う。

シンプルな解釈としては、ふるさとの山=岩手山だけれども、

実際に渋民で啄木の歩いたであろう道を歩いてみると、

反対側にある姫神山の尖がった山容もまた、

当地の風景を構成する欠かせない要素ではないかと感じた。

ふるさとの山は、1つとは限らない。

 

ここから私の話になる。

私がやたらと啄木にシンパシーを覚えるのは、

彼の出身地で彼と同じ新聞記者という職業に就いたこと、

啄木ほど切実な境遇ではないにせよ各地を転々としてきたこと、

そして、

「働けど働けど〜」の歌が象徴する勤勉清貧のイメージとは裏腹に

人間としては結構抜けの多い人だったらしいことが理由である。

 

今回は2点目の、各地を転々としてきたことについて。

…と思ったが、冷静に考えると私の人生、

さほど転々としていない。

仙台→金沢→仙台→盛岡→仙台と、

引っ越しは多いが、出生地仙台とどこかを行ったり来たりしているだけ。

もし仮に盛岡で新聞記者を続けていれば、

三陸の港町か内陸の山里かに飛んでいたかもしれないが、それも過ぎた話。

暮らした街は3つだけだった。

ただし、その3つそれぞれに強い思い入れがある。

金沢には4年間、盛岡に至っては2年半しか居なかったのだが、

それでも今「望郷の念」のようなものを覚えている。

 

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望郷の念を募らせ過ぎて、昨日盛岡に行ってきた。

開運橋の袂から、北上川の先にどっしりと、

それでいて優美に聳える岩手山の姿を見て、

自然と啄木の歌が心に浮かんだ。

「ふるさとの山に向ひて言ふことなし」

…でも、隣の雫石町にも随分お世話になったので、

岩手山だけでなく秋田駒ケ岳に連なる山々もまた

「ふるさとの山」だと思っている。

 

いやいや、あんたの故郷は仙台の片隅、

山一面を住宅で覆われた古い団地でしょうが!

とのツッコミも聞こえてくる。

確かに、私にとって出生地仙台を象徴する風景は、

丘から見下ろす清流広瀬川と背後に広がるビル群であり、

「山」は出てこない。

でも、親の実家のある県南部から望む

蔵王連峰のなだらかな山容は「ふるさとの山」だと思っている。

特に早春の雪化粧は見事で、やっぱり啄木の歌が浮かんでくる。

 

4年間居た金沢はどうかと言うと、近くの名山といえば白山だが

そこまでの思い入れはなく、ソウルフードの「8番らーめん」に

ふるさと感を覚えてしまうのだが、それは冗談としても、

隣県、富山は立山連峰など見ると「帰ってきたなぁ」と感じる。

 

結論としては、これだけ人の移動が活発になっている現代では、

望郷の念を抱く先、「ふるさと」は1人1つとは限らないし、

「ふるさとの山」は心にいくつ抱いていても構わないと思うのだ。

私もこの先の人生どうなるかが全く読めないし、

もしかすると山の見えない街に暮らすこともあるかもしれないが、

それでも各地に1つや2つ、心の拠り所となるような風景を

持っておきたいものである。

 

自己紹介(セルフブランディング)

もう一度、物書きでお金を稼げるようになった。

 

その割にはブログがこの貧相さである。

 

理想としてはもう何段階か良質の表現と、

相応の中身を伴った文章を掲載して

セルフブランディングとやらをしてみたい。

 

私はどのような箔を欲しがっているのだろうか。

改めて考えてみるとよく分からないし、

むしろ「平均的な普通の人生」に憧れているフシさえある。

じゃあ文章表現なんかして悪目立ちするなよ!って話だ。

ああ、それなりのオチンギンと伴侶と持ち家が欲しいなぁ。

 

肩に「本末テントウ虫」が止まってしまったが

それじゃあ本稿は進まない。

何かで箔をつけなければ。

 

思春期以来、私が固執してきたのは

「土地に根差した情報発信」である。

古くはYahoo!ブログで仙台についてグダグダと論じ、

学生時代は放送や無料誌でローカル発ローカル行きの

情報発信を色々と試みてみた。

そして、地方紙に就職した。

適職だったとは思うが、社会性とかが追いつかず、

自ら居場所を失ってしまった。

まだまだやり残したことはある。

そして縁あって現職に。

文章構成の能力は食べるために割きつつ、

市民が作るローカルメディアを持続、発展させる方法を

色々と考えている。答えは出ない。

 

ということで、

「地域」と「メディア」辺りを文脈として

日々思うことを論理立てて語ればいいのかもしれない。

そして、その道の端くれとして評価してもらえれば

私は満足するのだろうか。

あるいはホームグラウンドの仙台で題材を探して

地道に情報発信をし続けてみるとか。

 

るる考えてみたが、どれもあまり楽しそうではない。

自分がどう見られたいかなどと考えるのは

精神衛生によろしくないことが分かってきた。

実際すでに具合が悪い。

 

結論:物書き屋のブログが

全て良質であるとは限らない。

 

今後とも気が向いた時にだけ更新し、

内容の品質保証は一切考えず、

心の薄汚い部分を中心に書き残しながら

時々可愛い小鳥の写真なんかアップして

お茶を濁して行こうと思います。

 

東京へ出たなら銭コァ貯めて

上京する用ができた。

東京に行く=何か特別な体験をしなければならない、と考えてしまう。

典型的な田舎モン思考である。

先だっては、都心富裕層のカルチャーを体験しようと「皇居ランナー」になりすました。

別の日は、全国のアンテナショップをひたすら巡り倒した。

さて今回は…と考えるも、そろそろネタ切れを起こしている。

カネをかける都会の楽しみ方は特に。

 

高尾山でも登る?一人で。

 

本音を言えば、首都圏各地に会いに行きたい人がいるのだが…はて。