ふぐぅな時期

平昌五輪は閉幕し、

次はパラリンピックへ。

このところメディアは五輪一色なので

何か重要な問題が裏で動いていたのでは

などと捻くれたことを考えてしまう。

それはさておき。

 

この間、ラジオ番組でアナウンサーが

「(メダリストに限らず)

人間『不遇な時期』をどう過ごしたかで

その後の結果が決まってきますよね」

という話をしていた。

 

誰だって、順風満帆ではない。

ケガや病気、左遷など

思うに任せぬ時期に腐ることなく、

自らを奮起し高める努力を続けてきたか。

世に溢れるメダリスト報道を見れば

大いに頷ける話である。

 

さてここからは自分の話。

私はどうなのかと。

ここのところ不遇と言えばそうなのだが、

今この瞬間を含めて何をしてきたかというと

大いに疑問符がつく。

突き付けられる現実にひるみっぱなしの日々。

不遇というより「ふぐぅ…」である。

何とかしたいという気持ちだけはあるのだが、

ではそれならばと

自らに「理想の自分」について問うてみる。

 

「…働いて、結婚して、親に心配をかけない」

 

この期間、何をすれば実現できそうだった?

ひたすら本を読みまくれば良かった?

資格マニアになれば良かった?

エクササイズ・ジャンキーになれば良かった?

 

「…分からない」

 

目指すべき将来像を描けないことには

日々は漫然と過ぎていく。

曖昧な理想は、本当の理想なのかも怪しい。

「もっと自分らしく生きたい!」

ああ、さらに曖昧になったぞ。

 

これからも時間はたっぷりとある。

お金の方もまだ続いてくれるだろう。

しかし、

必要な努力の仕方は分からないまま、

理想とかけ離れた「結果」ばかりが

ひたひたと近づいてくるのだった。

 

ふぐぅ…。