(映画)あなたの旅立ち、綴ります

帰郷して初めて映画を観に行った。

邦題は「あなたの旅立ち、綴ります

tsuzurimasu.jp

 

ビジネスで成功し富を手にした

老婦人(主役①)は、孤独と死の恐怖から

地元紙の若い女性記者(主役②)に

自らの訃報記事を書くように命じる。

が、「ジコチュー」な老婦人の周囲に

彼女を褒める人は皆無で、

完成した記事は散々なもの。

老婦人はここで引き下がらない。

良き訃報記事の条件

(1)家族から愛されたエピソード

(2)同僚から慕われたエピソード

(3)他者貢献のエピソード

(4)人目を引く「ワイルドカード

をクリアすべく、

正反対の性格の記者を翻弄しながら、

人生を変える行動に出るのだった…。

 

映画のあらすじを書くのは難しい。

感想は私にとって、もっと難しい。

良いなぁと思ったのは、

人生の「見方」を変えるという点。

老婦人が訃報の初稿を見た後に

取った行動は、一見すると

訃報記事を良くしたいがために

これまでの人生を嘘で塗り固める暴挙

…とも思える。

だが、記者は行動を共にするうち

彼女の「嫌われ者」たる面は

良き面との表裏一体であることに気づく。

最終的には、

映画で描かれる晩年の突飛な行動だけでなく、

彼女の81年の人生を総括する

嘘のない訃報ができあがるのだ。

心温まる人間賛歌である。

 

 

久々にスクリーンに行く気になったのは

私の前職と関係している話だから、

と言えばそうとしか言えない。

恥ずかしながら、

訃報専門記者を志したことさえある。

(それには起業しかない?のだが)

 

学生時代

「自分の訃報記事を想像しながら

人生を歩みなさい」と言われたことも

大いに影響している。

著名人の訃報が分かりやすいが、

訃報は生きざまの概観であり、

人生の総ざらいである。

その人が何に命を懸けてきたのか、

社会にどのような影響を及ぼしたのか、

うかがい知ることができる。

 

劇中には「誰でも何かにはなれる」

という台詞が出てくるのだが、

訃報ではその人が「何か」を軸に

紹介される(※)。

迷走の続く我が人生、

学生時代からほとんど進歩もなく、

ジャーナリストとして生きようと

思ったものの挫折し今は無職、

この瞬間に死んでも訃報を書いてほしくない。

 

自分を劇的に変えることは無理だろう。

でも、今とは少し生きざまの視点が

スライドするような生き方を見つけて、

良い訃報が出来上がるようにしたいもので。

 

 

※日本の地方紙では、多くの訃報は

死亡日時と死因、葬儀の日程を簡潔に

示したもので、特別な(公的な)役職に

就いていなければ彼が「何か」すら

明らかにされない。ただ、映画で知る限り

米国では一般人でも、人となりを紹介する

短い訃報記事が載るようで、

取材は手間だろうが「いいな」と思う。