どうしようもない困りごと

はてなブログはお節介なことに、

日々のアクセス数を知ることができる。

役立つ情報を1ミリも書かず、

読者置き去りのスタンスが実を結んだか、

ここのところの訪問者数はゼロが続いている。

誰にも読まれていないことを良いことに

もっともっと自由に書ければなぁと思う。

 

さて、著者は少々悩んでいる。

何度か書いている通り、私には今、職が無い。

天職とも思える仕事に就けたにも関わらず、

仕事への愛が重すぎて「できない自分」を追い込み、

自滅した…というのが現時点での総括である。

 

「できない自分」のあまりのできなさっぷりも

大きく影響した。分かっているのに改善できない、

やればやるほど怒られる、そんな自滅の過程で、

私は発達障害の診断を受けた。

今もこの先も「発達障害者」として

生きることになるのだが、

本当にそれでいいのかなぁ?と今更悩んでいる。

 

 

手元にある主治医の所見によれば、

私は自閉スペクトラム症および注意欠陥多動性障害

それぞれ併せ持つという。

前者の特徴としては次のようなものがある。

対人関係・社会性やコミュニケーション能力に障害があり、物事に強いこだわりがあります。また感覚が異常に過敏(または鈍感)であったり、柔軟に思考することや変化に対処するのが難しいこともあります。

・視線を合わせること、自分の気持ちを伝えること、友達関係をうまく築くことなどが困難。
・言葉の発達に遅れや偏りが見られることもある。言葉の遅れがある場合は、質問に対してオウム返しをしたり、単語だけで話をしようとする。会話も一方的になりがち。遊びのルールが理解できなかったり、集団での共同作業に困難を示したりする。
・音、におい、接触刺激、痛みなど特定の感覚に過敏性を示したり、鈍さを示したりする。
・生活習慣や偏食、 同じ服をいつも着るなどの特徴的なこだわりを持ったり、特定の興味に熱中する。また、くるくるとまわったり手のひらをひらひらさせたりする行動がよく見られる。

発達障害とは?発達障害の分類・症状・特徴・診断方法はどのようなもの?【LITALICO発達ナビ】

また、後者について、同サイトによれば以下の通り。

・不注意:忘れ物や大切なものでも失くしてしまうことが多く、うっかりしたミスを何度も繰り返してしまう。周りからの刺激があると気が散りやすいことから注意力散漫ともいわれる。
・多動性:「静かにしましょう」という簡単な指示にもおしゃべりが止まらなかったり、席についていられずに歩き回ったりしてしまう。座っていても、モジモジと手や体を動かしつづけてまう。
・衝動性:興味のあるものを見たり聞いたりすると興奮しやすく、思いついたことをすぐに声に出してしまったり突発的な行動をしてしまうなど、衝動を抑えるのが困難。順番を待つことや我慢することが苦手で、イライラしやすく、思い通りにいかないと些細なことで手がでてしまうこともある。
・叱られることや注意されることが多くなると、自信を失ったり、やる気を失ったりしてしまいやすい。

 

一つ一つは、誰にも少しは当てはまる事柄であり、

「こんなのが障害なのか?」と思う向きもあるかもしれない。

私も、全部を生まれながらの発達障害のせいだと言って

できないことの免責に使うつもりはないのだが、

あまりに「どうしようもないこと」が多すぎて

これまでの努力不足だけでは説明がつかないというのも

正直なところである。なお、私は「障害」について、

前職の在職中に以下のような独自定義を行っている。

障害のありようはそれぞれだが、自力ではどうにもならない困りごとと生きる選手たち。(出典:2016年10月26日付 全国障害者スポーツ大会最終日を伝える某新聞社の短いコラム)

障害=「自力ではどうにもならない困りごと」であり、

見た目の差異や医学的な症状の軽重は問わない、というのが

当時の私の見解である

(突っ込み所があるのでアップデートは要る)。

そういうわけで、

私も先述の症状が全て当てはまるわけではないが、

診断名がついたことで「困りごと」の一因が分かり、

少しほっとしたのを覚えている。

 

ただし、障害が「障害」たるかは

環境に依るところが大きい。

私は職場および取材フィールドという環境で

障害に起因する(であろう)エラーを多発し、

ついに職場を自ら去ることとなる。

発達障害といかに折り合いをつけて生きるか、

これは当時の私には切実な課題であった。

ところが、職を辞して実家に帰ってみると、

障害の自覚症状はほとんど無い。

家事は家族がほとんどやってくれるので

(この環境がダメ人間を作った気がする)

自分の無能さに困惑する場面は少ない。

コミュニケーションの相手もほとんどが家族。

そこに努力はほぼ必要ない。

外部とのコミュニケーションの場面は少ないので

その分だけ集中力を割くことができる。

落ち着かない時は落ち着かない様子でいられる。

障害に起因するエラーを犯すことなく

暮らしていると、発達障害という診断を

下されたことすら忘れてしまいそうで、

今の自分を表現するならば

「ただのダメ人間」である。

 

それでも診断を下された事実は残る。

問題は、今後新たな仕事に就く上で

発達障害者」というアイデンティティ

どのように付き合えば良いのか…である。

発達障害を前面に押し出し、

特性を周囲に説明し理解を得ながら

生きていこうとするのか、

あるいは周囲に特性について説明はせず

単なるダメ人間として

「あれもできない、これもできない」

(=それゆえ心も病みやすい)という

諸問題について開示しつつ

一つ一つ克服を目指していくのか。

アイデンティティが揺らいでいる以上、

当面は障害者手帳を取得する気にはなれず、

かと言って完全無欠の健康体と偽って

新規就労を企むほどの度胸はない。

まことに中途半端な状態で、

ぐるぐると悩んでいる。

 

(それにしても…

「障害」と素直に打ち込みたいのに

いちいち「障がい」や「障碍」に直される。

なんだかPCに「人権を蹂躙するな!」と

咎められているようで嫌な感じだ。

本人が苦しさ(=害)を感じているなら、

平仮名で柔らかくしたって何の解決にも

ならないじゃないか、というのが私の考えです)

 

 

平和な野鳥ブログと見せかけて

突然こんなことを書き連ねてみせる、

読者置き去り、そもそも読者がいないという

本末転倒の運営方針で

今後も頑張って参ります。