ふるさとの山(1つとは限らない)に向ひて言ふことなし

ふるさとの山に向ひて

言ふことなし

ふるさとの山はありがたきかな

 

現在の盛岡市出身、石川啄木の実に有名な歌である。

彼は漂泊の詩人などとも呼ばれる。

故郷を離れ、北海道を転々とし、

東京で最期を迎える漂泊の生涯にあって、

心の中には常に望郷の念があったものと思われる。

その象徴が、西に岩手山、東に姫神山という

2つの名山を望む渋民の風景だったのだろうなと思う。

シンプルな解釈としては、ふるさとの山=岩手山だけれども、

実際に渋民で啄木の歩いたであろう道を歩いてみると、

反対側にある姫神山の尖がった山容もまた、

当地の風景を構成する欠かせない要素ではないかと感じた。

ふるさとの山は、1つとは限らない。

 

ここから私の話になる。

私がやたらと啄木にシンパシーを覚えるのは、

彼の出身地で彼と同じ新聞記者という職業に就いたこと、

啄木ほど切実な境遇ではないにせよ各地を転々としてきたこと、

そして、

「働けど働けど〜」の歌が象徴する勤勉清貧のイメージとは裏腹に

人間としては結構抜けの多い人だったらしいことが理由である。

 

今回は2点目の、各地を転々としてきたことについて。

…と思ったが、冷静に考えると私の人生、

さほど転々としていない。

仙台→金沢→仙台→盛岡→仙台と、

引っ越しは多いが、出生地仙台とどこかを行ったり来たりしているだけ。

もし仮に盛岡で新聞記者を続けていれば、

三陸の港町か内陸の山里かに飛んでいたかもしれないが、それも過ぎた話。

暮らした街は3つだけだった。

ただし、その3つそれぞれに強い思い入れがある。

金沢には4年間、盛岡に至っては2年半しか居なかったのだが、

それでも今「望郷の念」のようなものを覚えている。

 

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望郷の念を募らせ過ぎて、昨日盛岡に行ってきた。

開運橋の袂から、北上川の先にどっしりと、

それでいて優美に聳える岩手山の姿を見て、

自然と啄木の歌が心に浮かんだ。

「ふるさとの山に向ひて言ふことなし」

…でも、隣の雫石町にも随分お世話になったので、

岩手山だけでなく秋田駒ケ岳に連なる山々もまた

「ふるさとの山」だと思っている。

 

いやいや、あんたの故郷は仙台の片隅、

山一面を住宅で覆われた古い団地でしょうが!

とのツッコミも聞こえてくる。

確かに、私にとって出生地仙台を象徴する風景は、

丘から見下ろす清流広瀬川と背後に広がるビル群であり、

「山」は出てこない。

でも、親の実家のある県南部から望む

蔵王連峰のなだらかな山容は「ふるさとの山」だと思っている。

特に早春の雪化粧は見事で、やっぱり啄木の歌が浮かんでくる。

 

4年間居た金沢はどうかと言うと、近くの名山といえば白山だが

そこまでの思い入れはなく、ソウルフードの「8番らーめん」に

ふるさと感を覚えてしまうのだが、それは冗談としても、

隣県、富山は立山連峰など見ると「帰ってきたなぁ」と感じる。

 

結論としては、これだけ人の移動が活発になっている現代では、

望郷の念を抱く先、「ふるさと」は1人1つとは限らないし、

「ふるさとの山」は心にいくつ抱いていても構わないと思うのだ。

私もこの先の人生どうなるかが全く読めないし、

もしかすると山の見えない街に暮らすこともあるかもしれないが、

それでも各地に1つや2つ、心の拠り所となるような風景を

持っておきたいものである。