迷走第何章
ひと月以上もブログを置いてけぼりにしたので、削除しようとも思ったものの、なんとなくまた書きたくなるような気がしてそのままにしておいた。
迷走は続いている。
とは言え、迷走という言葉を使うのは適切なのか?とも思う。
自分だけの人生ならさて置き、実にさまざまな方のお力によって生きながらえ、どうにか前進を続けているのだから。他の人の営為が加わっていることを迷走と名付けるのは失礼じゃないのか、と思うようになった。
私だけでなく、誰しも真っ直ぐに歩き続けられるわけでもないし。
さて、このウネウネとした前進を何と呼ぼうか。
やっぱり迷走以外に思いつかないのだ。
これからも引き続きウネウネするし、どうか笑いながら見守ってね、というエクスキューズを求めるには、自分で迷走と呼んで笑う他ない気がする。
迷走台風が大きな被害をもたらすように、我が迷走はたくさんの方々にご迷惑をおかけしながら成り立っている。
先日、不思議なご縁に恵まれて仕事にありつき、迷走は次のステージに進むこととなった。
今度こそ、意味のある迷走に。
あるいは、前進と呼べる人生に。
ネ(テ)タ
5月以降、さっぱり更新していませんでしたが
生きてはおりました。基本、寝てました。
空白期間中、何が変わったということもなく、
無職にしてニートにあらずの日々は淡々と過ぎゆきます。
毎日何かは起きているのですが、状況は大きく変わりません。
「書きたい」という気持ちは起きるのですが、
一体何を書いていいのかが分かりませんでした。
朝から晩まで書くネタに事欠かなかった会社員時代を
どこか引きずっているのでしょうか。
自分でネタを探す力が足りないという現実。
そもそも今は世の中との接点が少なすぎるので、
ネタ(面白いと思う事象)に出合うことも少ないのです。
人生自体がネタ探しだと思えば、
この日々の流れ方は何と勿体ないことか。
鉄分の話
連休中のニュースから。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について、
ユネスコの諮問機関は「世界遺産にふさわしい」と勧告したという。
世界文化遺産に登録される見通しとなったらしい。
潜伏キリシタンと聞いて、一緒にするのは失礼だと重々承知ながら、
自分の趣味生活について思い出したのだった。
私は趣味について堂々と語れる人がうらやましい。
基本的に惚れっぽい私は、
何かを好きになったことは無数にある。
が、他人の目を恐れてコソコソしている間に、
それを愛することよりも、それを好きな自分を誤魔化したり
隠し通したりすることが目的化しがちである。
そんなことをしているうちに、愛は醒める。
いつの間にか、無趣味な人間が出来上がっているのだ。
だから、迫害の危機に晒されながら自らの信仰を貫いた
当時の潜伏キリシタンたちの偉大さを尊敬してしまう。
(事はそう単純ではないだろうけれど)
コソコソ愛してきたものの、中途半端にコソコソしたせいで
愛が変質してしまった代表格が、鉄道趣味である。
小さな頃の純粋に好きな時期を経て、小学生になってからは
「聖書」鉄道ファン、鉄道ジャーナルを基に知識を貯め込み、
実際に少しずつ出かけるようになり、
いよいよ楽しくなってきた頃、壁にぶち当たる。
中学生に上がる前後だったろうか。
人前で「電車が好き」と言えなくなったのは。
思春期の入口ゆえの照れも多少はあったのかもしれないが、
一番は「同業者」たちの無法ぶりを知ったことが大きい。
鉄道は公共交通である以上、趣味に没入すれば公共に
迷惑をかける恐れが出てくる。その辺を弁えて
節度を持って楽しんでいる人の方が少数派に見えてしまう、
悲しいジャンルである。従って世間受けは良くない。
彼らと同一視されたくないという理由から、中高生辺りで
一旦趣味から遠ざかった。車両形式やら駅名やらの知識も
その辺の時代からほとんど進歩していない。
それでも、大学進学を機に鉄道熱は再燃した。
同好の士に恵まれたことが大きい
(大学デビューに必死だった当時、どうして鉄道趣味を
カミングアウトできたのかは全く覚えていない)。
そして、趣味人の目からは当時の進学先、北陸は
とても面白い土地だった(JRも私鉄もネタは多様だった)。
また、日本の中央部なのでどこへも出かけやすい立地。
これを楽しまなければ、
大変後悔するだろうという予感も働いていた。
知識をひけらかす形にならないように細心の注意を払いながら、
鉄道趣味をひた隠しにするのはやめにした。
ただ、既に「没入」することはできなくなっていた。
社会人になってからは「ちょっと好き」くらいのスタンスを取り、
それが功を奏したか公私混同のような仕事を時々頂いていたが
(某新幹線開業一番列車に乗せてもらったり)、
あえなく自己都合により失業。
今は就労移行支援事業所で職業訓練に励んでいるわけだが、
そこには「お仲間」がいる。彼は私のように人目を恐れたりしない。
私が分かるヤツと知るや、次々と、そして淡々と話を振ってくる。
私も中学辺りで止まっている知識を総動員して応戦する。よって、
ここではひた隠しにすることをやめた。変に知らんふりするのは
不誠実だし、何より楽しくないではないか、と自分に言い聞かせつつ。
第一、今までの経緯からして隠し通すことは苦手なのだ…。
時々しっぽを出しては、迫害も多少受けつつ、時々現れる同好の士と
盛り上がればいいのではないか…今はそんな境地である。
一眼レフを線路際で構える度胸は無いけれど。